「ワイエスアグリプラント」の成り立ちから現在に至るまで、そしてこれからのこと。
「そら野テラス」を形作る現場の声で綴る、そら野ストーリーをお届けします。

【第4章 そら野テラスが出来るまで】(4/5)

【第4章 そら野テラスが出来るまで】(4/5)

この構想が始まる3年くらい前かな、「レストランでもやりたいなぁ」と思っていた頃、TVで岐阜の、ちこり村のレストランが盛況だということを知り、生産者を誘って視察に行ったことがありました。やりたいんだけどお金も必要だし、人員的にも大変だからなかなかできないと進めずにいたんです。その時に、倅である友和店長も「(レストランを)やりたい」と意欲を示してくれました。「それならば役員を説得するために事業計画を作れ」となり、「決算書から何から全て見せるから6次産業化の認可を取ろう」と団結しました。俺が思っていることと倅が思っていることが合致したことは大きかったです。
事業計画を立て始めたと同時に、新潟市が国家戦略の農業特区に手を挙げたんですよね。6次化と新潟市の農業特区の波にちょうど乗れたわけなんです。非常にラッキーでした。

そら野テラスの原型となった、前身の「越後西川あぐりの里」外観。直売所と握りたてのおにぎりやお惣菜などを提供する「おにぎり館」を併設。平成13年〜28年まで、地元の人々の憩いの場となった。

事業計画を進める中、6次化のヒアリングで、設計の話に及び、「直売所とレストランを一体型にしたい。」と言うと、審査員からは「一体型にする理由がどこにあるのか。」と質問を受けたことがありました。「一体型であるからこそ、加工場で作ったものをそのままデリカにも出せる、作業動線もいいし、お客様も(レストランの)食事の後に直売所にも寄れるでしょ」と話したことを覚えています。その後、担当してくださった建築家の伊東さんからは、一旦は外に出るけれど中では一体型の建物にする設計案を提案され今に至っています。とても満足しています。そういう意味では、素晴らしい建築家とも巡り合うことができました。 こうして、やる時には「えいや」という決断がないと進めないのだなと実感しました。その決断というものの背後にあるのは地元の農家さんやお客様に受け入れてもらえるかどうか、ということ。そこがあって初めて遠方のお客様も認めてくれるのだと思います。まずは地元の人たちが「奴らだったら大丈夫だな、任せてもいいな。」という信頼を得る言動を常に心がけないといけません。「何だ、あれは。」と言われるようなものだとやっぱり長続きしませんからね。

−大豆の生産組合から始まり、地元に還元することを一番に心がけているのですね。

俺達ばっかりいいんじゃダメだって、常に思っています。向こうさんも良いし、こちら側も良いしという関係じゃないと続かないんです。

−ここは、直売所がありレストランがあり、地元の農家さんたちが作った農作物が生きる場所なんですね。

俺が農家さんに必ず言う言葉は、「俺達はたまたまこういう施設を作ったけど、今はあちこちで色んな特徴の直売所がありますよ。皆さん、農家さんはやる気さえあれば、大きな借金を作らなくたって、直売所と契約を結ぶだけで自分の売場をあちこちで持つことができる、直売所を上手く利用すれば、1000万、2000万円の売り上げを作ることができるんです。農家さんがどんな風に自分の品物をお客様に届けたいか、そこだけです。」と。

−今のお話に関連して、日本の、あるいは地域の農業にとって、「そら野テラス」の役割はどんなことになるのでしょうか。

真っ先に言えることは、「絶対に潰れてはならない」ということ。俺達が潰れちゃうとみんなに迷惑がかかる。潰れないようにするには、何よりも地元の人と仲良くすること。地元の人が困った時に頼ってくれて、俺達も地元の人に頼りながらやっていくということ。この関係がずーっと保てれば、そんなに怖いもんじゃないと思います。

−お互い、欠くことのできない存在ですね。

「お互い様」という感覚を無くしては成り立ちませんね。俺達はこの風景をお客様に提供しているわけですけど、この風景は俺達だけで作っているわけじゃないんです。この地で営んでいる農家さん達が手入れをせず草をぼうぼうにしたり、休耕田にしてしまったら、それで終わりなんです。ここの農家さん達が一生懸命耕してくれるから綺麗な田園風景が見られるわけです。

−「そら野テラス」は、周りの農家さん達がいることで成り立ち、また一方で、農家さんにとっても「ここが活躍の場である」と思ってもらいたいですね。

ある友達が「な(お前)たちがやってる取り組みは、すごいと思うわ。俺は誇りに思うで。」と言ってくれたことがありました。そういう存在になれたということは、少し自信を持ってもいいのかなと思いました。

−全国から農業関係者が視察にいらしたり、取材を受けたり、県外あるいは海外にも、「そら野テラス」の存在や西蒲区の農業というものを発信しているような役割もお持ちですよね。

責任は重いです。立派なことを言わなきゃいけない時があるけど、立派なことを言ってしまったらちゃんと成し遂げていかないといけませんよね。この辺のところは、当然、会社として法令遵守でやっていかないと。経営陣はもちろん、スタッフも皆、責任は果たさないとね。俺が間違っていたら「社長、それは違いますよ。」と指摘してくれるスタッフがいなきゃ困るし、素直に耳を傾けられるよう常に意識していないといけない。経営陣もスタッフに真摯に耳を傾ける態度が必要だと思っています。

−外部に向けて「そら野テラス」を発信するという責任は、周りからどう見られるかということでもあるので、社長も役員もスタッフも気持ちを通じ合わせることが大事なんですね。

そうですね。大切なのは、みんなが一つになっていないとダメだというところですね。

−社長の人生にとって、「そら野テラス」はどんな存在ですか?

すごい難しい話ですね(笑)。(少し考えて)21年勤めた会社を辞める時点で、自分達が農家として作った品物をお客様に提供するというところまでは想定していたけど、まさか自分がこれだけのスタッフを雇用し、その生活をある程度安定させるために色々考える立場になるなんて思ってもいませんでした。

−ここの地域全体の雇用を産んで経済を回しているような。

そこまで言うと大それた話になっちゃうけど(笑)。でも、それはそれとして、事実になったので、俺達は前に進んでいかなきゃならない。そしてここは皆で可愛がって育ててきた会社であり施設なんだから、これもひとつの子どもだと思っているし、スタッフも自分の家族だなと感じています。そういう感覚で一緒に前に進んでいければ、相当心強いと思っています。



《前のページ 次のページ》